1月17日で阪神淡路大震災から20年がたちましたね。
私は当時、西宮市弓場町という芦屋市の市境あたりに住んでいて、お家は全壊しました。
前年11月に建てたばかりのお隣の家にうちの2階建てのアパートが激突して、なんとか崩れ落ちなかったので助かりました。

お隣りのおじさんは「命救えたと思ったらなんでもないよ」とおっしゃってくださいました。
お隣のおうち以外の方向には建物が何もなかったので、何度想像してもぞっとします。

地震から数時間は震源地の情報が入りませんでした。私の実家は和歌山で、南海沖地震の話を聞いていたので、実家の方が震源地なのでは? ひどいことになっているのでは? ととても心配でした。
日が昇って明るくなるとあたりの様子が見えてきて、さらに不安になり、すぐに公衆電話から実家に電話をしました。

電話はまだ奇跡的につながって、姉が出ました。
「地震大丈夫やった?」
ときくと、実家もこちらの状況を知らないので
「大丈夫。リンゴがひとつ転がったくらい」
「そうか、よかったよかった、じゃあね」

とお互い笑い合って電話を切りました。私の状況を伝えるのを忘れました。
電話が不通になるなんて思わなかったのです。その後実家に電話をしましたが連絡が取れませんでした。テレビで神戸の状況がずっと流れていました。生きている以外は何も伝えなかったのでたくさん心配をかけていました。翌日の夜、やっと連絡が取れました。

震災の経験は人とのつながりを教えてくれました。

おにぎりを配り歩いたり、自衛隊の方から水をいただいたり、トイレに困ったり。
いろんな知恵を出し合ったり、改善されていくことの喜びを知ったり。
感謝で毎日を生きていました。
ご近所の方、ボランティアの方、自衛隊の方、感動をありがとうございました。

神戸はすごいはやさで変化していきました。

大変な思いがそこにあったと思います。

未来を信じる力、支える力大切にしたいですね。